プラモデルだけの世界だけでなかったハノ字シャコタン

私は、小学校時代にプラモデルを組み立てるのが好きで、月に1回のペースで組み立てていました。その中で強烈だったのは、1981年当時にマルイが出していた、「ハノ字シャコタンで走る」というシリーズのものでした。丁度、ロックバンドの横浜銀蝿が「羯徒毘ロ薫’狼琉」という歌で、「ハノ字のスリックバリバリ」という歌詞が出て来るので、私の周囲でも、ハノ字シャコタンの車のプラモデルを組み立てることが流行っていました。私が最初に組み立てたハノ字シャコタンのプラモデルは、ローレルでしたが、カラーはブラックとパープルが選べたので、パープルを選びました。ホイールは、ワークエクイップがついており、本格的でした。そして、それからそれ程月日が経っていない或る日、私の家の南にある新幹線の高架下近くにある、背の高い草が生い茂っている中の空き地に、私が組み立てたローレルと同じ型のローレルが停めてありました。私や友人らは驚いたのですが、そのローレルは、カラーはブラックで、後輪のみ、ワークエクイップのホイールが組付けられていました。後輪は、ハノ字だったので、皆が、「凄い!ハノ字シャコタンだ!」と言って騒いでいました。窓は、スモークフィルムが貼られ、プラモデルのハノ字と酷似していました。ただ、ライト類の改造は未施工で、ナンバープレートは前は外されていました。人口の多くない、田舎町でこの様な車が走って入れば目立つと思うのですが、持ち主は誰かは最後まで判りませんでした。その車が、旧国道を走っているのを一度だけ見たことがあったのですが、それ以後、そのローレルが公道を走っているのを見たことはなく、いつの間にか、そのローレルは姿を消していました。